ふたつの毒 

本屋にはいろいろな本がある。
今年の一月に訪れた本屋には
18万冊の蔵書があるそうだ。
18万冊の並びのなかで
その本屋は、わたしの本を
アダルトの棚に置いていた。
どうしてSMやAVの本とともに
性暴力被害者の手記が並べられたのか?
最初、店長は
「わからない」を繰り返していた。
それでは何の確認にもならないので
わたしは「どのような店づくりを
心掛けているのか」と尋ねた。
「差別をしないことです」と
店長は答えた。
少し意外だった。
店長は普段から
クレームに悩まされていた。
グラビアアイドルの
サイン本の売り方を巡って
サイン本を買えなかった男性客から
「差別をするな」
「客を平等に扱え」と言われて
その度に頭を下げる日々だった。
店長はサイン本を
先着順で売っていたので
決しておかしな売り方を
していたわけではないが
「差別だ」と言われるたびに
謝っていた。
……そんな話を聞かされて
話し合いに同席してくれた友人が
「それは差別とは関係ないですよね」
と言うと、店長は即座に
「そうですよね」と言った。
違うとわかっていることを
違うと思いながら
なぜこの場で話すのだろう。
違いますよねと言われて、なぜ素直に
「そうですよね」と答えるのだろう。
形だけのやり取り。
こちらにも形だけの謝罪を
しようとしているのか?
わたしは気分が悪くなった。
一方で、それだけ店長は
「差別」という言葉をかけられることに
疲れているのだろうとも思った。
硬くなった心を目の当たりにして
そこにはふたつの毒があると思った。
ひとつは、言葉の使い方のおかしさだ。
おかしいと感じながらも、店長は
男性客の「差別をした」という言葉を
受け入れながら仕事をしてきた。
でも本来、差別とは
社会の中で特定の人間を他と区別し
不当にぞんざいに扱うことを意味する。
商品を先着順で
購入できなかったからといって
店が客を差別したことにはならない。
もうひとつは、自分への差別だ。
差別をされていたのは
本当は男性客ではなく店長だ。
でも店長は
そのことを直視できなかった。
みじめだったのだと思う。
こうして二重にねじれた
「差別」という言葉を
投げかけられたくない店長は、必死に
男性客が気に入る店づくりをしてきた。
実際には
女性客や子どもの客もいたけれど
男性客を意識した店づくりが先行した。
そんななかでわたしの書いた本が
SMやAVの本と
一緒に並べられてしまった。
そのときにはもう、店長自身が
言葉の毒を放つ側になっていた。
再び友人が問い掛けた。
「性暴力の被害者の方も
書店にとっての
大切なお客様ですよね」
店長はハッとした顔をして、頷いた。
言われて初めて
そのことに気が付いたようだった。
自分の仕事が社会の一部だと
思い出したのだと思う。
お客様と呼ばれたわたしは
ようやく自分が
社会の一部になれたような気がした。
書店の棚は
その町に住む人の心に影響を与える。
刑法を使う警察官や検察官や裁判官も
書店の棚から影響を受ける。
だからやっぱり
書店員さんには考えてほしい。
考えるだけの心の柔らかさを
取り戻してほしいと思っている。
わたしはこの書店の社長に対して
改善してほしい点を
いくつか要望した。
その中には
カスタマーハラスメントから
従業員を守ることと
労働環境を改善することも入れた。
そして一緒に改善策を考えた。
店長はこれから
それを実施していくという。
言葉の絡まりの毒が解けたら
もう一度「一緒に考えてください」と
言いに行こうと思っている。
そうすることで
今はまだ麻痺しているわたしの感情を
取り戻していけるかもしれないからだ。
(池田鮎美)

すぷだよりNo.144 に寄稿しました。

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