本物のスター

この一か月あまり
かつて「スター」と呼ばれた男の
転落劇を見せられている。
#metooが始まって以来
このようなことは珍しくなくなった。
性暴力についてのおぞましい報道は
毎日引きも切らない。
そのたびに
心のかさぶたがはがされ
鮮血が流れる。
でも一方で
もっとおぞましいのは、これらが
報じられなかった時代のほうだったと
わかってもいるのだ。
被害が被害と認識されない時代は長かった。
どんな被害が被害とされるかは
被害者以外の「一般人」の判断に
ゆだねられてきたからだ。
ずっと考えていた。
その判断をする「一般人」とは誰なのか
わたしたち被害者は
2023年の刑法改正で
「一般人」の一員になれたのだろうかと。
2024年の年明けに
その問いへの衝撃的な答えを
わたし個人として突きつけられた。
それはある書店での出来事だった。
わたしは自分の書いた手記を探していた。
「社会」の棚にあるはずのその本は
どこにも見当たらなくて
店員さんに尋ねて、ようやく見つかった。
わたしの手記は
「怪奇・アダルト」の棚に置かれていた。
AVやSMや男性向け性風俗の本と
並べて置かれていた。
「店長に言って
ちゃんと一般の棚に
置き直してもらいますね」
女性店員さんが何回も謝ってくれた。
それから10日が経って
もう一度その棚を見に行った。
わたしの手記は、変わらずにそこにあった。
「一般の棚に置く」という
女性店員さんの言葉は
店長に無視されたのだろう。
ひとつ、はっきりしたことがある。
一部の書店では、意図的に
性暴力被害者の手記が
アダルトの棚に置かれているということだ。
ひとたび被害をうったえ出れば
わたしの言葉は
ポルノに回収されたり
妖怪みたいに
人間を脅かす存在として扱われたりする。
そこには、被害者の言葉を
一般の棚には置かないという判断を
積極的にしている人がいる。
その悪びれない様子にぞっとして
何日もの間、横になって過ごした。
それがわたしの2024年の年明けだった。
一方で、「一般人」は変化しつつある。
かつて「スター」と呼ばれた男に関する
性加害疑惑が次々と報じられた。
この男は、アダルトの愛好家としての
自身の性癖をあけすけに語ることで
人気を得ている人物だった。
多くの人は、気が付いた。
彼の話には性暴力が含まれていたことや
それは笑っていい話ではなかったことに。
子どもへの加害は笑えないのに
成人した女性への加害を笑っていた
過去の自分の気持ち悪さに。
これもまた同じ2024年の年明けだった。
かさぶたをはぎ取られ
露わになった心を撫でながら、考える。
正直に言うと
わたしには仲間たちこそが
光り輝くスターに見えるのだ。
わたしたちはこの傷について
言葉にすることができるようになった。
真実を語ることができるようになった。
それは仲間たちの姿に励まされ
おぞましさの底からそれぞれが語り
時代を自分たちで手繰り寄せたからなのだ。
そしてこれからも
何度でもわたしたちは語り始めるだろう。
わたしはそんな仲間たちの姿を
ちゃんと見ていたいと思う。
どのような棚に置かれようとも
決して滅びない言葉を語る
本物のスターたちの姿を。

(池田鮎美)

すぷだよりNo.141 に寄稿しました。

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