社会のなかに椅子をつくる

2012年に性被害を受けた直後
わたしにはすでに
「これは性被害だ」と理解できていた。
警察に通報して
捜査員たちが到着するまでの2時間近く
わたしは椅子をガタガタ揺らしながら待った。
狂いそうになる自分を持て余して
何人かの知人に電話をかけた。
その中にAさんという人がいた。
Aさんは仕事関係で知り合った男性だ。
電話をかけて
「ごめんなさい、例のお仕事
お受けすることができなくなりました。
今日、取材中に性被害を受けて
いま、捜査員の到着を待っているんです」
と伝えた。
「あー、そうなんですね。
大変でしたね。
ボクも子どもの頃、あったんですよ。
性被害っていうか
無理やり性的な嫌なことをされました。
……仕事のことは了解です。
まあ、池田さんも頑張ってください。
では」
そう言ってAさんは電話を切った。
わたしはしばらく、ポカンとしていた。
Aさんの「頑張って」が
物凄くそっけなかったからだ。
少し腹を立てた後に
「違う」と感じた。
Aさんは男性だから
警察に行っても取り合ってもらえない*。
(*2018年に刑法が改正されるまでは
刑法上で性暴力の被害者として扱われるのは
女性だけだった。)
Aさんには被害届を出す権利がない。
Aさんは、怒ることができないのだ。
だから怒りが湧く状況を
全力で避けたのだろう——と気が付いた。
その瞬間
パラシュートがふうっと萎むようにして
わたしは音もなく急降下した。
この国には何一つそろっていないという
残酷なリアリティがわたしの心臓を掴んだからだ。
口のなかがざらっとする感じがして
わたしは「しっかりしろ」と思った。
これは自分だけの問題じゃない。
もしも自分の心や体が壊れても
何年、何十年がかかっても
前進しなければならない。
被害直後のわたしの精神は
すでに限界状態だったけれど
この限界を超えて通報できたのだから
次は、何が起きるのか、起きないのかを
しっかり見極めなければならない。
社会のなかに座る椅子がまだない
Aさんのような人もいるからだ。
その後、わたしは不起訴になり
やはり刑法を変えなければならないと再認識した。
しかしそれ以降、Aさんを見かけなくなった。
うわさを聞いた。
「Aさんは違う業界へと転職していって
元気にしているらしいよ」
もしかしたら、Aさんは
わたしに被害を告白してしまったことを
後悔しているのかもしれないと感じた。
曲がりなりにも被害を通報できるわたしに
申告できない被害を受けたと
とっさに告白してしまったことを。
だからあの「頑張って」の声には
こちらに対して距離を置きたいという気持ちが
隠しきれずに表れてしまっていた。
そこには、うらやましいという感情が
あったかもしれないし
そんな風に綻んでしまった自分自身のことを
恥ずかしいと感じたのかもしれない。
もっと別な感情があったかもしれない。
でもどんな感情であれ、それは
感じることすら居心地の悪い
モヤモヤしたものだったのだろう。
それでも「頑張って」をくれたのだ。
そんなAさんのことをときどき考える。
その気持ちを誰かに話せただろうかと考える。
いつ誰に話すのか、誰にも話さないかは
Aさんにしか決められないことだけれど
Aさんが安心して座れる椅子が
この社会のどこかにあってほしい。
だって、今日という日にわたしが
自分の椅子に静かに座っていられるのは
あの日の「頑張って」のおかげだから。
男性の被害が被害だと認められるようになり
不同意性交が罪に問えるようになったけれど
まだ時効の壁はある。
わたしは社会のなかに
新しい椅子をつくり続けたい。

(池田鮎美)

すぷだよりNo.138 に寄稿しました。

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