その後を生きる

2023/6/16

参議院本会議の議場を見守りながら

流れる涙を抑えることができなかった。

その光景を見ることなくこの世を去った

被害者たちのことを

瞼の内側に

なるべくたくさん呼び寄せた。

遠かったゴール。

彼/彼女たちを差し置いて

どうして自分が生き残り

この光景を見せられているのだろうと思いながら

ふたつの瞼に焼き付けた。

2023/7/6

刑法が改正されたという実感がわかない。

それでも、ジャニー喜多川氏の被害者が

声をあげ続けることの意味に、深く共感する。

加害者が死亡していても尚

ちゃんと社会を変えたいという勇気に震える。

わたしも

「刑法が変わったから

性暴力のことはもういいよね」

とはならない。

刑法が変わっても

日本人の心のなかにはまだ古い刑法が生きているし

加害者は責任を問われないままだからだ。

それは社会に許されているということだ。

明日は自動的にはやってこない。

でも今はまだ

刑法が改正されたという実感がわかない。


2023/7/8

「刑法が変わってよかったけれど、冤罪はよくない」

と言われた。

なぜ咎められるような口調で言われたのかが

腑に落ちない。

たしかにわたしも

検察が、袴田巌さんの有罪を

再び立証しようとしていることについて

ニュースで読んで、戦慄した。

でもそれは

自分も同じような経験をしたからだ。

あまり知られていないのかもしれないけれど

実際には

袴田さんだけでなく

性暴力被害者も

決め打ちの取り調べを受けてきた。

重大とされる事件がある一方で

重大ではないとされる事件があるのは

そこに判断をする人間がいるからだ。

重大とされる事件の捜査にも

決め打ちがあってはならないし

重大とされない事件でもそれは同じ。

「冤罪さえ出さなければいいんだろ」というような

そんな単純な問題ではない。

冤罪事件と

犯罪被害者が虫けらのように扱われることは

相反する問題ではなく

むしろ地続きの問題なのだと思う。

思考停止してはいけない。

2023/7/13

新刑法が施行される日の空はくもりで

いつもの静かな朝だった。

アスファルトに水を打つ手を止めて

瞼の内側まで届く太陽の光を味わう。

今を生きるわたしたちは

あの日の未来を生きている。

今わたしたちがすることはすべて

かつての自分自身の夢なのだ。

でも現実には

トラウマはそこにある。

自分のちっぽけさと向き合いながら

刑法が変わった後にも

性暴力から救われるって

どのような状態のことだろうと

考え続けている。

2023/7/20

わたしのことを虫けらのように扱ったN検事が

この春さらに出世したことを知った。

性暴力被害者を踏み台にしながら

現実は、思考停止したまま進んでいく。

わたしは、刑法が改正されても

それを使う日本人の認識が変わらなければ

性暴力被害者の人生は

救われないままだろうと思う。

わたしたち国民にできることは

刑法がどう使われるのかを

注意深く観察することだ。

明日はやっぱり自動的にはやってこない。

けれど一歩、また一歩と

社会を治療していこう。

わたしは今日も、その後を生きている。

(池田鮎美)

「すぷだより」No.129に寄稿しました。

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