わたしたちの生態系

性暴力を社会がどう扱うかという問題は
もしかすると刑法の概念よりも
もっと広い問題なのかもしれない。
まだまだ課題はあるけれど
2023年6月に刑法が改正された
今このタイミングで
考えてみたいと思うことがある。
「ひとつの性暴力があると
そのコミュニティにはひびが入る」。
そのことを
わたしたち性暴力被害者は
経験上よくわかっている。
一方で社会のなかには
「それが文化だから」と
性暴力をふるう人がいる。
加害者の周囲には、この言い訳に
ある程度同調してしまう人たちがいて
それによって性暴力が許されている。
そこには厳かな演出がついていたり
正統な雰囲気が醸されていたりする。
文化人類学ではこれを
フラタニティ文化と呼ぶ。
先進国でもよくみられ
性暴力の温床になっている。
こうした現象を文化と呼ぶと
再び厳かな感じがしてしまうので
生態系(エコシステム)と呼ぶ方が
最近はしっくりくると感じる。
話を戻すと
わたしは幼馴染を
コミュニティのなかで起きた
性暴力によって喪った。
わたし自身はこれまで何度も
メディア等のコミュニティのなかで
性暴力を経験してきた。
だから、こういう生態系を
どうしたらいいだろうと
いつもいつも考えてしまうのだ。
いつか、そんな時代が
来るかはわからないが
たとえ刑法で100%の性暴力を
裁ける時代が来たとしても
こうした生態系をどうするか
という問題は残ると思う。
例えば旧ジャニーズ事務所の問題。
3月にBBCが公開した
インタビューの中で
ジャニー喜多川氏以外にも
複数の事務所スタッフが
少年たちを性的に虐待していたことを
事務所側が認めた。
コミュニティや業界や
組織や家族のなかで
性暴力が統治のための
道具として使われていると
改めて感じた。
でも、刑事事件化することは
考えていないという。
他のケースでも
こういう話はよく聞く。
生態系を変える方が
たやすいことだと根拠なく考えて
刑事告発を見送るのだ。
でも、じゃあ、わたしたちは
どうやってこの生態系を
変えて行くのか?
いつそれをやるのか?
日本では右を見ても左を見ても
上も下もそんな生態系だらけだ。
性暴力が生活の隣にあり
生態系だけはずっと変わらない。
芸能界やメディア業界だけではない。
「息をひそめていれば過ぎ去る」
と言って変わろうとしない
それは全ての日本人の今までの
そしてもしかすると
“今の”姿ではないだろうか。
たしかに、性暴力のニュースに
怒ってくれる人は増えた。だけど
加害者を感情に任せて責めているだけ
スクリーンの向こうの誰かを
責め続けているだけ
本当に“それだけ”になってはいないか。
わたしたちの隣には
被害者と同時に加害者もいて
傍観者もいて
同じコミュニティのなかで生きている。
あなたの足元にある
この生態系をどうするか
この生態系は今、何ができていて
何ができていないのか
身近な誰かと
話してみたことはあるだろうか。
わたしも、やってみている。
(2024年4月23日)
すぷだよりNo.147 に寄稿しました。
【すぷだよりNo.147】わたしたちの生態系/韓国のバックラッシュ

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